1987年 4月 | 〇 | アマチュア無線クラブ F・E・H・C (富士見80ハムクラブ) の主要メンバー3名により SOFT HOUSE 印度人 結成。 プログラム・ゲームデザイン INDOJIN プログラム・グラフィック きゅーり 音楽 岩石太郎 |
〇 | この年、夏コミ冬コミ申し込むも、ともに抽選落ち。 | |
1988年 8月 | 〇 | SOFT HOUSE 印度人 コミケ初参加。 「PON PON QUEST」(88SR用)発表(以下ポンクエ) 美少女本格RPG、3Dダンジョンリアルタイムオートマッパー、 戦闘中モンスターのセリフを表示、追加シナリオ制等々 この時点では 非常に斬新 なアイディアに富んだ作品だったが、技術力もないのに 大作に挑んだため中途半端な出来。 いい加減なSOFT「雑学クイズ」(88SR用)を50円ディスク として同時発表。恥ずかしい。 |
9月 | 〇 | 通販の問い合わせにより、Hacker(現在廃刊)10月号に「ポンクエ」が掲載されたことを知る。 「お金が余ってしかたない人に」と紹介されていた。 |
12月 | 〇 | パソケット初参加。 「ポンクエ」と「雑学クイズ」のカップリングSOFTを頒布。 大好評。 調子にのって美少女マルバツゲーム「マルバツDX」を 1週間ででっちあげる。 |
〇 | 「雑学クイズ」絶版にする。 | |
1989年 1月 | 〇 | パソケットにて「マルバツDX」(88SR用)を発表。 大人気。 調子にのって「アルカナイゾ」を開発。 クリアするとご褒美として、明度を落としてある背景画像を ちゃんと見ることができる、女の子の画像付きブロック崩し。 オールベーシックで書かれていて、いい加減に作るにもほどがある。今思うと、スゲー恥ずかしい。 |
2月 | 〇 | テクノポリス3月号に12月のパソケット出展作品として、「ポンクエ & 雑学クイズ」が紹介される。 |
3月 | 〇 | テクノポリス4月号に「ポンクエ」が正式に紹介される。 配布希望の申込みがたくさん来る。 |
〇 | パソケットにて「アルカナイゾ」(88SR用)を発表。 | |
6月 | 〇 | テクノポリス「同人ソフト大全集」Vol.1に「ポンクエ」載る。 |
〇 | 「SUPER PON PONQUEST」(以下スパポン)の 開発計画持ち上がる。 | |
〇 | 「ポンクエ」絶版にする。 | |
〇 | アソコン「同人SOFT大集合」Part2に 「アルカナイゾ」が紹介される。 何か載るという話は聞いていたが、 まさか「アルカナイゾ」が載るとは意外。 ビックリした。 遊んだ編集部の人も、さぞつまらなかったことだろう。 |
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7月 | 〇 | 「マルバツDX」「アルカナイゾ」がそれぞれいい加減な出来だったので、多少まともなバージョンにする。 「マルバツDX」は IKUMI 、 SHOJI に原画を依頼し対戦相手を1人から3人に増やし、「アルカナイゾ」は、ラケット移動のみマシン語化。 ついでに98VM版マルバツ「マルバツEXE」も開発する。ただし98VM版には、音楽は移植できなかった。 これらは、この月のパソケットで発表。 |
8月 | 〇 | 夏コミで「スパポン」(88SR用)を発表。 印度人初の自信作(オイオイ)。 |
11月 | 〇 | この頃「コンプティーク」誌の「ちょっとエッチな福袋」内の「ゼネラルプロダクツの同人ソフト自由自在」に 「マルバツDX Ver2.0」が紹介される。(何月号かは忘れた) |
1990年 1月 | 〇 | テクノポリス2月号で「スパポン」紹介される。 |
〇 | パソケットで「スパポン」追加シナリオVol.1「忍者砦の攻防」を 発表しようとするも、落ちる。 | |
2月 | 〇 | 千葉パソケットで、「忍者砦の攻防」(88SR用)発表。 |
3月 | 〇 | 印度人初の大阪遠征。大成功を納める。 |
4月 | 〇 | 印度人初の名古屋遠征。大成功。 |
〇 | テクノポリス「同人ソフト大全集」Vol.4に「スパポン」紹介される。 | |
6月 | 〇 | アソコン「同人ソフト大集合」Part3に 「スパポン」「マルバツDX Ver2.0」が紹介される。 やたら誉めてあるので、照れくさくなる。 |
8月 | 〇 | 夏コミで「スパポン」追加シナリオVol.2 「ポンポンハーレムをぶっつぶせ!」(88SR用)を発表。 |
9月 | 〇 | 出来が悪いので、さすがに恥ずかしくなり「アルカナイゾ」を絶版にする。 印度人初の神戸遠征。大失敗。 |
11月 | 〇 | テクノポリス「同人ソフト大全集」Vol.6にて 「忍者砦の攻防」紹介される。 |
1991年 2月 | 〇 | アソコン「同人ソフト大集合」Part4に「忍者砦の攻防」紹介される。 ここまで誉めるか?というくらい誉めてあって照れくさいが、 それにしてもストーリーを最後まで紹介してあるのにはまいった。 |
12月 | 〇 | 北原亜希氏の協力を得て、1年半ぶりの新作、印度人初の98オリジナルの アドベンチャーゲーム 「知佳ちゃんのワンダバダバ・ランド」 (98VM以降用)を冬コミで発表。 |
1992年 7月 | 〇 | 大陸書房の書店売りビデオ「同人版 美少女ゲーム大集合!」で「知佳ちゃんのワンダバダバ・ランド」が紹介される。 プロの声優のナレーションで紹介される自作品には、感慨深いものが... |
1995年12月 | 〇 | 冬コミにて、実に4年ぶりの新作「ノートルダム寺院のピクピク女」を発表する。98VM以降用の本格お笑いRPG。 |
1996年 8月 | 〇 | パソコンソフトの自動頒布機 TAKERUにて、「ノートルダム寺院のピクピク女」の頒布開始。 同発同人ソフト40作品中人気ランキング10位になる。 同時にTAKERUのホームページ上で「ノートルダム寺院のピクピク女」の紹介もされる。 |
1997年 2月 | 〇 | TAKERU稼働終了 同時に「ノートルダム寺院のピクピク女」の頒布も終了となり 、 事実上「SOFT HOUSE 印度人」の活動は、ここで休止となる。 |